昨晩、NHKスペシャルで 立花隆のレポート第2弾がありました。20年前に第1弾、その前に、臨死体験の本も出していますね。
生後1か月の子の臨死体験にはびっくりしました。心が体から抜け出し医師や家族のことを見ていたことを2歳になってから話し出したそうです。自分の脳が7日間麻痺している間の体験を語る医師は有名ですが、脳が麻痺しているMRI画像を見て脳の現象ではないと主張しています。
一方、ネズミの脳死状態の波形も拡大すると、数十秒間、微細な活動が見えるというミシガン大学での研究も。脳の錯覚の研究で、体外離脱は脳が体の位置を認識できなくなったからではないかとスウェーデンの研究。記憶はイマジネーションの影響を受け、人間は特にその要素が強い…だから芸術があり面白いと利根川進教授。
『我思う故に我あり』と言ったデカルトの頭蓋骨まで出てきましたが、思う心がどう生まれるのか人間は追い求めづづけています。心の一部、感覚・感情・行動・記憶などを結び続ける意識=自我も脳内の膨大な神経細胞のつながりによって生まれるという研究も最近盛んだそうです。意識は蜘蛛の巣のようなもので電気回路のように膨大な情報を1つにつなげるものというトノーニ教授。コンピュータでも意識がつくれますが、脳が死ぬと心も死ぬという理論です。ただ、その世界は膨大で、解明は困難といってもよいでしょう。
死の間際、神秘体験は脳のもっとも古い奥深い部分で起こる奇跡的な体験と言います。白昼夢状態で、幸福感を感じる化学物質を出すそうですが、『何故かという問いはその人の信念に委ねるしかない』というケンタッキー大学のケビン ネルソン教授の深い言葉も。『その体験をどう受け止めるか科学する必要はない…その人の信念の問題だ。』とも。敬虔なカトリック教徒である彼の妻は脳腫瘍にかかっていました。取材後亡くなったそうです。
『本当のところはわからないところが面白いことだ、宗教でも科学でも結論がでない...』と立花隆。
私は、小学校低学年のとき、秋の運動会から帰ると家に親がいない…という夢を見ました。『皆死ぬの...』と母親に聞いたのを覚えています。そのあとは、本能的に自分の死を恐れてきました。一番確かなことは、生きるものは必ず死を迎えることと...などと言っていましたが...死後は天国へ?生まれ変わる?、死者の書、お葬式のお経、“ここが天国”、いろいろな話を聞き読みました。そんな中で『垣間見る死後の世界』という臨床医がまとめた実体験書を読みました。その後、脳の化学現象だという説がいろいろ出てきましたが、空中から見ていないとわからない事実を知っている…という話を聞いて少しホッとしたのを覚えています。
そのレイモンド ムーディ博士は前回のレポートでは死後の世界は証明できない…と言っていたのですが、精神を病み自殺を図って臨死体験をしたそうで、それから、死後の世界を信じるようになったというのです。『人生は死ぬまで理解できないもの...人生とは何だったのか、その意味を知りたいと思いながら最後のときを迎える。そして死ぬとき臨死体験という冒険が待っている。』トムハンクスが年取ったような彼が言っていました。
そして、立花隆は締めくくりました。『死ぬということが以前より怖くなくなった。人生の目的は心の平安とギリシアの哲学者が言っている。自分の死について頭を巡らすことがそれを乱している。いい夢を見たいという気持ちで死んでいくことができるような気持ちになった。』