2013年12月31日火曜日

2013年 大晦日


この半年、ブログにお付き合いいただき、ありがとうございました。
来年もよろしくお願いいたします。

2013年12月30日月曜日

“planet”



planet”という言葉からは、国境が感じられず、より宇宙的な感じがしますね。太陽系の“earth”もありますが、ちょっと宇宙の中で特殊な感じがして、closedなイメージが強いと思いませんか。一方planet”には、運命共同体の生態系が感じられ、かつ、広い宇宙の中の惑星のひとつ…というイメージがありませんか。“planet”の運河 プラネットカナールPlanetCanal™は、そんな感覚的なところからきています。

“global”

90年代になって“global”という言葉が“worldwide”にとってかわったような印象でした。実はPlanetCanalも最初はGlobal Canalという名前にしようと思ったのですが、比較的若い人に“global”はイマイチと言われ、確かに…ハッとしました。非常に率直に貴重な感想を言ってもらい今でも感謝しています。

global”は国境を越え活動をするイメージですが、国が色分けされた地球儀的な感じがしないですか。

2013年12月29日日曜日

“worldwide”

中学のときだったと思うのですが、世界を放浪して、いろいろなところに行き、いろいろな人々と出会うのが夢でした。北はスキーで蔵王、西は修学旅行で京都まで…と世界がとても狭いときでした。仕事はカメラマン…いろいろなことに憧れ諦めることを繰り返していた時期でもありました。

現実は、放浪とは程遠く、学生時代ちょっと凝ったカメラも続いていませんが、世界を広げたいという気持ちは続いています。でも、アフリカにも南アメリカにも行ったことはなく、世界はまだまだ狭いのが現実です。


広げたいと思った“世界”は平面地図イメージの“world”だったかもしれません。“Around the World”という曲は世界のいろいろな国々を想像させてくれました。世界を股にかけたいという言葉もあり、ビジネスでは80年代までは“worldwide”という言葉が主流でしたね。

2013年12月26日木曜日

“三つ葉のクローバー”

この社会は、ギリギリのところで頑張っている人たちやそれぞれのところでNo.1を目指している人たちに大きく依存しています。精神的にも支えられています。それは科学・ビジネス・芸術・スポーツ…何の分野ででもです。競争を意識しないで、それぞれの道において夢中で何かに取り組んでいるひとからも、それが何であれ、必ず何かが生まれ何かが与えるものです。

しかし、日常の世界のなかで現実の形にして持続していくのは多くの一般ピーポー(people)です。皆それぞれの持ち場でその人なりに頑張ってきたから今があり、頑張っているから明日へとつながるのです。

プラネットカナールPlanetCanal™では、いろいろな人たちの思いや時間をたくさん集めて、モノを運ぶ推進力にし“moment of smile”につなげていこうとしています。すごい思いでズーッと参加する必要はありません。“四つ葉のクローバー”だと続かないですし、たくさんは集まりません。“三つ葉のクローバー”がよいのです。“普通”の思いや時間なら、集まりやすく、参加する人からみても自分流にプロジェクトに参加しやすくなります。

はじめは別として、限られた人たちに依存しないで済むようにしていくことも大切だと思っています。そして、ある程度の数のボランティアの人たち(クリティカルマス)が参加してはじめてプロジェクトは成り立ちます。一握りのスーパースターであろうと、一般ピーポーであろうと、多種多様な方々がいろいろな形で少しでも多く参加していただくのが理想です。夢は大きく、“slow”な持続的社会インフラのひとつになることですから…


2013年12月24日火曜日

フィギュアスケート全日本選手権2013

~バッカス~より
フィギュアスケート全日本選手権でスケーターとしての最後のチャレンジをしている選手たち、とくに、高橋大輔選手と鈴木明子選手、そして安藤美姫選手の姿は胸を打つものがありました。ギリギリのところで、微妙なエッジのバランスに賭けている姿は美しいですね。鈴木明子選手は1週間前は全然ジャンプが跳べなくなったといいますから、積み重ねだけでなく一瞬一瞬が新しいチャレンジのスポーツだということがわかります。その一瞬のためにトレーニングを積み重ねてきているから美しいのでしょう。フィギュアスケートは技術だけでなく芸術性もあり、更に、選手たちのドラマがあるので、そこからくるオーラを感じ余計感動を呼ぶのかもしれません。

高橋選手のスケーティングは魅力的です。それだけでなく、これまでの選手生活にも演技にも人間味が溢れ応援したくなりますね。ソチ決定、本当によかったですね。鈴木選手も、これまでメディアでの扱いは地味でしたが、ずっと続けてきた甲斐あって、会心の演技で金メダルを獲得しました。素晴らしい演技でした。本当におめでとうございます。

自分のスケートを一から作り直して自分の滑りをすることに集中している浅田真央選手、出産直後という中で凄いチャレンジをしてきた安藤美姫選手、伸びのあるスケーティングで人がとても好さそな織田選手、皆さんに、心から拍手を送りたいと思います。

2013年12月23日月曜日

“今を一緒に”

プラネットカナールPlanetCanal™の設立準備をはじめてからは、いろいろなしがらみもなくなり、失うものもなく守るものもなく、あまり先のことまで考えなくてもよくなりました。今を生きられるようになりつつあるような気がします。

プラネットカナールPlanetCanal™では、モノをただ運び届けるだけでなく、このプラネット上で“今を一緒に”生きていることを感じられることを大事にしていきます。

今の時間はプラネット上どこでも平等です。忙しい人も時間に余裕のある人もいますし、寿命に差はありますが、長さではないですね。今の瞬間は平等です。制約はいろいろありますが、みんなで一緒に、その少しの今を集めつなげて、モノを運び届ける支援をしていきます。

そして、受け取ったひとや関わったひとの笑顔の瞬間の写真(Moment of Smile)を通して、“今を一緒に”生きていることを少しでも感じられればと思っています。一緒に活動でき、送り先に誰かがいることを感じられるだけでもいいですね。


プラネットカナールPlanetCanal™は、every single momentを大事にし、常に動き変わっていく世界のなかで、常に新たな気持ちで活動を続けていきます。

2013年12月22日日曜日

”今”

何十年と生きてきたので、最近やっと、今が大事と思えるようになりました。そして“今を一緒に”いることを大事にしたいと思えるようになりました。今年の流行り言葉をここで言うつもりはありませんが、行動が伴っているかは別にして、そう思うようになりました。

若い時は無理ないのですが、実は、社会人になって、ずっと将来のことばかり考え憂いてきたような気がします。高校時代は刹那的な放浪生活を夢見ていたこともあるのですが...(いつかまた吐露します) 性分だと思いますが仕事柄それに拍車がかかりました。ただし、“今”の積み重ねが明日だというのは感じていたかもしれません。今はそれを実感していて、今を積み重ねるしかないと思っています。

過去のことは、あまり悔やむほうではありませんでした。水に流すということでなく、学習が必要だということも仕事を通じて学びました。引きずらないほうでしたが、社会人に成りたての頃は自分が認められないときなど、客観的な認識ができず悩んだこともありました。たまたま飛行機から地上の景色を眺め、何と小さいことで悩んでいるのかと我に返ったことがありました。最近は、そういうことはなく、過去のことは、記憶が衰えたことも味方()して、気になりません。今、こうして回想するのを楽しんでいます。


自然に今しかなくなりつつあるような感じです...というか今が全てになりました。

2013年12月21日土曜日

“寂”

『月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人なり...』(奥の細道) 芭蕉は旅に出たいというだけでなく、また寂しいなどという主観を超え、自分のことだけでなく全てを包含するもっと大きなことを表現したような気がします。ひとつひとつのmomentは過ぎると戻ってはきません。


“諸行無常”は科学的にも言える…などと昔は言って、それ以上は鐘の音をイメージしていました…☺ 確かに、物質も宇宙もプラネットも生命も一瞬たりとも同じ状態はなく、変化し続けています。かりそめの世界も自分も一瞬で変わっているのです。浪人時代などは、そんなことを考えると虚無的な考え方に傾きがちだったと思いますが、今は、ちょっと違っています。よりポジティブというか執着心が減ったというか、なじめます。“空(くう)”と“色(しき)”の世界に少し近づけたのでしょうか…??

“寂しさ”を超え、時間を意識させるそういうことが“寂”なんですね。

2013年12月20日金曜日

命のMoment of Smile

変な奴だとお思いでしょうが、私は人間だけでなく、動物、植物、微生物にも、表現はできなくても、Moment of Smileがあるのでは…と思っています。生態系の一員として、どんな生き物にも、そんな瞬間があるという気がするのです。


おかしい人と確信される前に、その話はやめますが、Moment of Smileは命を象徴する人間の大切な一瞬です。モノを扱うプラネットカナールPlanetCanal™でも大事にしていくのはMoment of Smile (MOS)です。

2013年12月19日木曜日

このプラネット上の命

私は、小学校のときから、命があることや宇宙の外に何があるかなどと考えると、胸の奥がムズムズして息苦しくなり、おかしくなりそうでした。

中学の後半から理論物理学をわかりやすく解説した本を読んだりし、高校ではほんの少しわかった気がして、考えることに科学的な要素が加わっていきました。ただ、探究を持続する能力や勤勉さに欠け、すぐ限界を感じて、いろいろなことを簡単にあきらめていました。そして、本当のこと(真理)は感覚的に判断して、毎日を暗中模索しながら生きていこうと決めました。今は、興味本位で表面的に、物質や宇宙を極めている研究者たちの成果を本やテレビ、新聞などで知る程度です。
 

命に関しては、ずっと一貫して、その凄さに驚愕するばかりで、本当に感覚的かつ情緒的にとらえてきました。

そして、言うまでもなく、このプラネット上に存在している命は一番身近で何よりも大切に思っていますし、大切にしていきたいと思っています。

2013年12月18日水曜日

“繋がっている”

プラネット上のひとつひとつの命は、不思議なことに、寝ている間も自律的に自分のなかで一時も休まず働いています。弱肉強食の生存競争や争いはあっても、生態系を成し運命共同体を築いています。ただ、自然環境、温暖化、自然現象に運命が左右されるということが、この半世紀で強く意識されるようになりました。言うまでもなく人間もその一部として運命を共にします。

人々は心理の深い部分で繋がっていると主張する心理学者もいます。催眠などを通じて探ってきたことだと思います。

個々の人々は皆根っこでは“繋がって”おり“一体”をなしていて“分けられない”…ということを、創造主からのメッセージとして、ある哲学・神学者が半世紀以上前に本に書いています。数年前に読んだことがあります。


震災のあと、“繋がっている”という言葉がよく使われるようになりました。いい言葉ですね。プラネットカナールPlanetCanal™でも“今を一緒”という表現で“繋がっている”ことを感じられるようにしていきたいと思います。

一緒なら…

大学に入ってからは高校時代のように寂しさから、いろいろ考えるのが減りました。鈍感になったのか、だんだん社会に順応していく準備を知らないうちにしていたのかもしれません。

そして、寂しいなどと言っている余裕がない時期を経て、“寂しさ”を感じることは更に減ってきたと思います。昔は、夜の電車の中から家々の灯を見て、幸せを願っている多くの人々ことを思い、暖かい何かと説明できない圧倒されるような何かを感じていました。

今は、いろいろな状況のなかで生きている、いろいろな家族や人々と、一緒に繋がって生きているという安心感というか連帯感というか、そんな感覚に包まれるようになってきました。


理屈や精神論で考えていた“根っこで皆繋がっている”ということを、本当に感じるようになってきたからかもしれません。皆一緒なら、“寂しいとか“自分のためか他人のためとかはありませんね。

2013年12月15日日曜日

“寂しさ”が原動力?

高校のとき、お金・地位・名声を極端に求める人たちは寂しいからではないか、ちょっとニュアンスは違いますが、アグレッシブにNo.1を求める人たちも“寂しさ”を原動力にしているのではないか…、私は“ここにいる!”~“生きていたんだ!”というような心の奥の叫びに突き動かされているのではないか…と思うようになりました。英雄と言われる人たちにもそういう要素があるのではないだろうかとも思いました。勿論、何か別のことsomething elseに突き動かされ、結果として偉人と言われるようになった人たちもたくさんいて、そういう人々は尊敬に値すると思っていました。若い時は皆そうかもしれませんが、善と偽善の紙一重のところには敏感でした。さすがに鞍馬天狗に憧れていた私としては名声や地位を追い求めたくなかったのは言うまでもありません。今はその辺は大変緩くなっていて。今なら、“寂しさ”からであれば許せるような気がします。


そういう私も、誇大妄想の時は、注目され尊敬され愛される時の人々や歴史に残る人々と自分を比較したり、ジェラシーを感じるときがありました。悪いことではなく自然なのですが、一番になりたい、ヒーローになりたい…と密かに思うときもありました。やはり寂しさを感じていたからでしょうか。まだ、現実も先も見えていない私でしたが、残念ながら、そういう人々のように成きることができそうもないとも思いました。躁鬱のように、今度は不安の時が来て、誇大妄想と不安の往復でした。その後社会人になっても認められたいという気持ちは強くなったと思います。

2013年12月13日金曜日

“ジェットストリーム”

Mr. Lonely”という曲とともに、『(オープニング)ジェットストリーム…遠い地平線が消えて、深々とした夜の闇に心を休める時、遥か雲海の上を、音もなく流れ去る気流は、たゆみない宇宙の営みを告げています。満点の星をいただく果てしない光の海を、豊かに流れゆく風に心を開けば、煌く星座の物語も聞こえてくる、夜の静寂の、なんと饒舌なことでしょうか。光と影の境に消えていったはるかな地平線も瞼に浮かんでまいります...(エンディング)夜間飛行の、ジェット機の翼に点滅するランプは、遠ざかるにつれ、次第に星のまたたきと区別がつかなくなります...』というナレーションが有名なFMラジオ午前0時の番組を昔よく聞いていました。世界の都市に向かう高度1万メートル上空の夜間飛行をイメージして、イージーリスニング・ミュージックを聞いていました。(今も続いているそうです)


宇宙につながるような夜の透明で無限の空間を一瞬で飛び回るような感覚で、いろいろなことを考え、思いを巡らして音楽を聴いていました。物質と空間の制約が見えなくなった闇のなかで、もう誇大妄想の世界でした。 そして、ときどき朝までということもありました。日の出のなかで、この世界の物理的制約を感じ、地球の大きさを感じながら、自分の小ささを感じていました。何とも言えない寂しさを感じたものです。

2013年12月11日水曜日

カモメのジョナサン?

私は、幼稚園に入園するとき門のところで行きたくないと駄々をこねるような人見知りでした。その後も、ひっそりと後ろに立つのが心地よく、ひとりでいても平気なほうでした。しかし、学校に通いはじめ、否が応でも、そのconfortable zoneを出ていくjouneyが始まったのです。

こちらから仕掛けることはなかったのですが、売られたケンカに、いつも“勝つ”…というより“負けません”でした。正義の味方“気取り”で友達がいじめらようとしている囲みに飛び込んだりもしました。犬が死んだときにトイレでひとり泣きましたが、小学校のときは人前で泣いたことはありませんでした。多分、そんなイメージがあり、いつの間にかガキ大将的な存在になっていたのです。小学校3年からカブスカウトに入り心を改め(?)、“よい子”になったので学級委員にも選ばれました。ただ、面倒な全校xx会や形式を踏んだことが何故か嫌いでした。それは中学も同じでした。規律が厳しくなった毎日の中で優等生に徹し、ずっと学級委員でしたが、委員会などはサボることばかり考えていました。生徒会長などには全く興味なく、ずっと人望が厚い人が会長をやっていました。高校でも、友達がふざけ半分で裏で動いたらしく、2年3年とホームルーム委員に選ばれました。この時は、不思議とそんなに嫌でなく、淡々と務めました。大学のクラブでは文科系のクラブに理系から入ったので時間がないというのもありましたが、相変わらず社会人のマネ事みたいなことになじめず、ひっそりと背景の中にいるフォロワーでした。

社会人ではもっと積極的にバカになれればよかったのですが、煮え切らず覇気がありませんでした。ジワーッとしたスタイルが定着したと思います。(その方が長丁場ではよかったかもしれませんが。) ただ、置かれた立場や状況のなかでは精一杯頑張りました。仕事もうまくいくことが増え、大きな仕事が成功すると少し将来に期待されたようでした。海外研修も増え、全社レベルのプロジェクトや新しい事業の立ち上げ等に抜擢されるようになり、ヘッドハントもされて、世界は広がっていったのです。小さな世界で気にしていたことが小さいことだと気づき始め、少しずつ、より高く・より広いことに慣れていきました。


それでも本質のスタイルは一匹オオカミ…というより相変わらず鞍馬天狗に憧れる変や奴だったかもしれません。可愛げもなく、人を心から信頼できず、『もっと信用しろ』と上から言われたこともありました。草食系ですし(?)、カモメのジョナサンという本がありましたが、どちらかというと、群れから離れたカモメだったのかもしれません。30年ぐらい前に幸い家族を持って一匹ではなくなり、いろいろ変わったのですが、多くの友達や人々と一緒にいられる幸せを噛みしめられるようになったのは、そんなに前のことではないと思います。

2013年12月9日月曜日

ジャズバンド

リーダーシップに限らず、何でも自分に合った自然なスタイルで自分流に貢献することをプラネットカナールPlanetCanal™は大事にしていきたいと思っています。普段自分の限界を超えるような、ぎりぎりのところで頑張っている方も、楽な本来の自分の自然なスタイルで、私たちの活動にご一緒ください。

それは、コンフォタブルなゾーンに安住するということではありません。プラネットカナールPlanetCanal™では、積極的に自分のスタイル、自分流を全面に出していただくということです。その人らしさを大切にしていきます。しゃしゃり出ないリーダーシップもあっていいし、NPOなどでは草の根運動的スタイルも大事です。その人の自然なスタイルなら、どんなスタイルでも必要なスタイルなのです。いろいろなスタイルの人がいれば、チームはきっと強くなります。


自由で自立した人びとの思いとチームダイナミックスが運河の推進力です。いろいろな人たちに参加していただきたいと思っています。その力を楽しい雰囲気のなかで自然に集めて進めていきましょう。指揮者がいなくても演奏が合い、それぞれのパートが自由にアドリブを交えてバンドとして一体になるジャズバンドのように...

2013年12月8日日曜日

自然な自分流のリーダーシップ

無理していれば、そのうち無理が無理ではなくなるのかもしれませんが、やはり、無理のない自然体がいいですね。ずっと力んでいくのも疲れますし。無理しなくても、キャパシティが大きく自然にいわゆる“リーダー”…という人はリーダーの中でも一握りです。だから、慣れるまで“頑張る”ことも大事なのですが、リーダーに限らず、ある時点からは、今までの経験から身についたスタイルや自分にあっているそれぞれのスタイルでいくのが一番です。

コンサルティング事業世界同時立ち上げのとき、日本のチームが最初に認定されるために、何件かOJTのプロジェクトを成功させる必要がありました。そのとき他ファームでコンサルビジネスのリーダー経験を持つ米国人に指導を受けました。その人が、Asia Pacificを統括するトップのインタービューで模範を見せてくれるというので、まだ若かった()私はノートテーカーとして同席しました...が、その人の説明は覇気がなく、声も小さく、表情も弱々し気で、APのトップのひとがやたらと大きく見えたものです。ボソボソとその人が質問しはじめました。すると、何故かトップが少しずつ体を乗り出してきて、最後にはそのメンターを見上げるような雰囲気になったのです。何かを問題点を指摘する訳でもなく、提言をする訳でもなく、主張する訳でもなく、ただ、質問してうなずいていただけなのですが...


おそらく事業内容やトップの関心などを十分押さえた“ask good questions”を実践し、そのトップにいろいろなことを気づかせたりしたのでしょう。いわゆる“リーダー”のスタイルをイメージしていた我々にはカルチャーショックでした。自然な自分のスタイルで~バリューでリード~よい勉強になりました。そのあと、コンサル“ビジネス”にはスタイルを重視するいやらしい部分もいろいろあることもわかりましたが...

2013年12月7日土曜日

慣れて自分のものにできるリーダーシップ

よくポジションが人をつくる…とか言いますが、トレーニングで慣れさせるのも米国流かもしれません。“自分の意見・考えを主張すること”“チームをまとめリードすること”“発表すること”..などのトレーニングを自然に繰り返します。

日本にいると“自己主張”することは美徳ではなく、時には“しゃしゃり出る”のようにとられます。まだ、出る釘は打たれるのが日本の社会かもしれませんが、グローバルでは釘は出ないとだめです。日本人が苦手とするところですね。若い人たちはAKBのように自己アピールしていくことには慣れてきているのかもしれませんが、グローバルに通用するリーダーシップスタイルを場数を踏んで身につけてほしいと思います。

ニューヨークの本社で幹部候補生の研修に出たことがありました。日本にいるときの何倍も“主張する”ように心掛けました。自分としては考えられないレベルです。クラスディナーのあとに、何か面白いことを話せという課題が出され、静かに他の人が“しゃしゃり出る”のを見ていてもよかったのですが、思い切って手を挙げて漫談までしました。相当無理した結果、大喝采で、宿舎への帰り道は皆に“fantastic job! ”と声をかけられたり、翌日朝食ではクラスマネージャーが同じテーブルに来て将来の希望とか聞かれたりしました。(娘たちがハイ、ハイ…と逃げていく典型的自慢話でした☺) それでも最後にチームフィードバックでは、『もっと主張したほうがよい。(be more assertive)』なのです。日米で大きく違うところです。これに慣れるのは大変ですが、そういう場数を踏んで慣れていくしかないでしょう。少し慣れた気になること…かもしれません。

勿論、ポジションは場数を増やすというより場そのものですから嫌でも慣れますね。スタイルはいろいろでも、求められているリーダーシップが身につきます。そう考えると、天性のリーダーなど、いないのかもしれません。

2013年12月6日金曜日

キャプテン フィリップス

映画「キャプテン フィリップス」ポスターより
今日、娘に誘われて家族でトムハンクス主演のキャプテン フィリップスをみてきました。リーダーシップの話に無理やりつなげると…船長はそもそもリーダーですが、普通の民間人がソマリアの海賊に襲われ拉致されるような状況で本当にキャプテンだと感心しました。(映画は2009年コンテナ船が海賊に襲われた実話に基づいています。) そして、アメリカ海軍は、よく訓練され恐ろしいくらい冷静にことをexecuteし、凄さや恐ろしさを感じるくらいでした。軍に救出されたときの感情的な人間味溢れたキャプテンと医務担当官が冷静に手順を踏んでチェックするところが対照的でした。(あまり話をしてはいけませんね。) ソマリア問題についても、いろいろ考えさせられました。

プラネットカナールPlanetCanal™は海を進むコンテナ船をゆっくりしたのどかなイメージに使っていますが、そんなに“のうてんき”でもありません。海賊のことは考えていないわけではありませんが、言うまでもなくプラネットカナールPlanetCanal™にキャプテン フィリップスがいることを想定できません。送り主の思いがこもったモノを扱い運ぶミッションのNPOですが、リスク管理の方針として、モノには執着せず、あきらめるのを基本にしています。お金の問題でもないので、コストを抑えるためにも保険もかけない方針です。それ以外の地域でも海賊は出没するようですし、それ以外にいろいろなリスクがあるでしょうが、人の安全が最優先にしていくことを、お客さまにもご理解いただくつもりです。

とは言え、そのリスクに関わらないようにしても、誰かが必死に極限の状況を切り抜けたり、力を持つ政治や軍隊の力で守られたりしているという事実をこの映画を見て改めて思い知らされました。自分たちには出来ないので、強力なリーダーシップや訓練された力に頼るしかありません。(そういう他人事のような話や他力本願が嫌いなひともいるでしょうが。)


リーダーシップの話に無理やり戻しますと、強いリーダーは必要です。天性のリーダーは別にして、繰り返し訓練して極限状態でも力を発揮できる究極を目指す人たちや組織のように、リーダーも訓練し慣れてなっていくのかもしれません。

2013年12月5日木曜日

学び自分のものにできるリーダーシップの手法的部分

どんなスタイルでリードしてもコミュニケーション、コーチングや交渉なしでは何も実現できません。コンサル系のリーダーシップ研修では多くのことを学びました。スタイルではなくお手前や手法になっている部分が多いのがグローバルというより米国流だと思いました。

例えば、コーチングはニューヨーク郊外のテニスコートに集合して1日中、腕のレベルに差がある2人がチームを組んで、お互いにテニスのコーチし合いました。コーチングは教えるのではないことを実感しました。交渉術は香港でハーバード交渉術チームによるトレーニングを受けました。常に分析して冷静に手法として交渉を組み立てていくのは、やはり凄さを感じました。


日本の若い人達もグローバルに活躍していくには、そういう手法的なことを学び身につけると、いろいろな利害や考え方が異なる人々とグローバルスタンダード(?)で渡り合えるかも知れませんね。他人事のような言い方ですみません...

2013年12月4日水曜日

京都にて:鞍馬山~大原

そして次の日、鞍馬を越えているとき…ふと、『いろいろな原点は鞍馬天狗かも知れないと』と思ったのです。

子供のころのチャンバラ遊びでも、高校のとき鞍馬天狗のテレビ番組を見ていても… リーダーシップではないですが、憧れるヒーロー像は鞍馬天狗だったのかも知れません。笑われるかも知れませんが、ススキの大原で月を眺め立っている、体制派ではない正統派、名前などに拘らない鞍馬天狗の姿は私の憧れだったのです。

そんなことを考えながら、貴船から大原にも足を延ばすことにしました。

京都にて:哲学の道~詩仙堂

10年ぐらい前になりますが、京都で会社のイベントに参加し、空いた日は久しぶりに京都散策…ということがありました。

南禅寺から哲学の道を歩きながら…詩仙堂の庭を眺めながら…そのとき、何故かリーダーシップ・スタイルについて考えていました。

そして、今までグローバルIT企業で学び、複数の会社で実践してきた組織をリードするリーダーシップのスタイルは本来の自分のスタイルとはかけ離れている…と思ったのです。

一方、コンサルティングの世界で10年、学び実践していたリーダーシップは比較的自分好みで自分に合っていたとも自分の中で再確認しました。

2013年12月3日火曜日

グローバル・リーダーシップ?

OB会の話の続きですが、ゲストスピーカーが現社長で初めて話を聞きました。参加者からはいろいろな感想が飛び交っていましたが、私にはinformativeでした。直接話を聞くというのは話の内容だけではなく色々なことが感じられ面白いものです。

日本人社員のグローバルなリーダーシップが話題になり、『現在海外で活躍している社員数は確かに大きく減った。しかし、現在本社の中枢にも若手の幹部候補生を送り込んでおり、ビジネスの伸びとともに若手グローバル人材を急ピッチに育成し、リーダーの数も増やしていこうとしている。とのことでした。


私もいろいろなグローバル・リーダーシップ研修を海外で受けました。いろいろ学び、それなりに身についたと思います。グローバルに活躍できるリーダーの育成は大切だと思います。ただ、今だから言えることですが、そのリーダーシップ・スタイルは私のスタイルには合っていなかったのではないか…いろいろなリーダーシップ・スタイルがあってよいのではないか…と、あるときから思うようになりました。

2013年12月1日日曜日

銀座で画廊を経営されている方

一昨日、長く勤めた外資系の会社のOB会があり久しぶりに参加しました。そこで、銀座で画廊をご主人と経営されている方にお会いしました。

名刺交換しながら「ブログを半年前ぐらいから始めました。」と言ったところ、『私は8年ブログを続けています。そのほかに毎週コラムでも発信しています...』と返ってきました。8年間続けて!?さらに毎週コラム!? ちょっとした事情でブログを休んでしまう私とは大違いです。頭がさがりました。


因みに、その方の思いは、『日本中の家庭に絵を入れたい!』 銀座の画廊を紹介する活動もされています。