SFCのブログを投稿してから、昔の自分は“自分でやりたいこと”がわかっていたのだろうか…とふと思いました。感受性はつよかった小学生時代、あまり考えがなかった中学時代、自我が目覚めはじめたの高校時代、この頃いろいろ考えてはみました...
そのあとの節目節目で、一応、進む方向をある程度は考えました。大学に入るときも、就職するときも、残りの人生を考えるときも、転職するときも、アーリーリタイアメントするときも...
若いころは“憧れ”というより“格好よさへの憧れ”を消去法で消しながら...器用貧乏、限られた時間、二兎負うものは一兎も得ず...などがキーワードでした。若くなくなると、寂しいかな出来そうなことが見えてしまい、だいぶ絞られてきた憧れというか“やりたいこと”の強さを比べながら...選択と集中がキーワードだったかもしれません。
方向を選択して、そのあとが肝心なのに、若いころはコンスタントに積み上げることが苦手で、要領も悪かったので、道に迷い流されることが多かったなぁとつくづく思います。
SFCにそんな昔の自分が入ったら、やはり自分で大学生活を組み立てることができたか自信はありませんが、少なくとも、入ったあとも嫌でも考えなくてはならず、目的志向でHOWを組み立てなくてはならず、道に迷うことは少なかったかもしれません。怠け者で要領が悪いという致命的なハンディがあったので、最後までやり通せたかは疑わしいですが...
現在は、当時と比較にならないほど、やりたいことを決めるための情報が溢れ、かなりの情報を容易に入手できます。学生たちには大変プラスなはずです。ただ、溢れる情報のなかに溺れているひともいるかもしれません...しっかりした学生なら、自分で自分の大学生活を組み立てることはできるでしょう。
でも、やはり、経験のすくない学生たちですから、勘違いや選択の間違いも多いことと思います。就職の第二新卒というのは、以前はどうかと思ったのですが、必要な仕組かもしれません。勘違いや間違い、更には失敗を前提にしたシステムが、ダイナミックな社会をつくっていくのではないでしょうか。 “やり直し”ができる社会にしていくことが鍵ではないか…そこに尽きるのではないかと思うようになりました。
米国では、日本のベンチャーキャピタルのように起業家から個人の担保などとろうとすることなどなく、投資家やエコシステムがリスクをとります。お金持ちの桁が違うこともあるかもしれませんが。ですから、失敗してもやり直しがききます。経営者を探すときに、わざわざ、失敗を経験した人を探すくらいです。日本は一度失敗すると、昔ほどではありませんが、まだまだ、次に受け入れられないところが残っていますね。
個人の成長を助けるために、もっと社会が成長する必要があります。社会の成長のためにも、個人が失敗を恐れず成長していけることが大切です。社会に入ってから堅実すぎた私が言っても迫力はありませんが...