2013年12月21日土曜日

“寂”

『月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人なり...』(奥の細道) 芭蕉は旅に出たいというだけでなく、また寂しいなどという主観を超え、自分のことだけでなく全てを包含するもっと大きなことを表現したような気がします。ひとつひとつのmomentは過ぎると戻ってはきません。


“諸行無常”は科学的にも言える…などと昔は言って、それ以上は鐘の音をイメージしていました…☺ 確かに、物質も宇宙もプラネットも生命も一瞬たりとも同じ状態はなく、変化し続けています。かりそめの世界も自分も一瞬で変わっているのです。浪人時代などは、そんなことを考えると虚無的な考え方に傾きがちだったと思いますが、今は、ちょっと違っています。よりポジティブというか執着心が減ったというか、なじめます。“空(くう)”と“色(しき)”の世界に少し近づけたのでしょうか…??

“寂しさ”を超え、時間を意識させるそういうことが“寂”なんですね。