私は、幼稚園に入園するとき門のところで行きたくないと駄々をこねるような人見知りでした。その後も、ひっそりと後ろに立つのが心地よく、ひとりでいても平気なほうでした。しかし、学校に通いはじめ、否が応でも、そのconfortable zoneを出ていくjouneyが始まったのです。
こちらから仕掛けることはなかったのですが、売られたケンカに、いつも“勝つ”…というより“負けません”でした。正義の味方“気取り”で友達がいじめらようとしている囲みに飛び込んだりもしました。犬が死んだときにトイレでひとり泣きましたが、小学校のときは人前で泣いたことはありませんでした。多分、そんなイメージがあり、いつの間にかガキ大将的な存在になっていたのです。小学校3年からカブスカウトに入り心を改め(?)、“よい子”になったので学級委員にも選ばれました。ただ、面倒な全校xx会や形式を踏んだことが何故か嫌いでした。それは中学も同じでした。規律が厳しくなった毎日の中で優等生に徹し、ずっと学級委員でしたが、委員会などはサボることばかり考えていました。生徒会長などには全く興味なく、ずっと人望が厚い人が会長をやっていました。高校でも、友達がふざけ半分で裏で動いたらしく、2年3年とホームルーム委員に選ばれました。この時は、不思議とそんなに嫌でなく、淡々と務めました。大学のクラブでは文科系のクラブに理系から入ったので時間がないというのもありましたが、相変わらず社会人のマネ事みたいなことになじめず、ひっそりと背景の中にいるフォロワーでした。
社会人ではもっと積極的にバカになれればよかったのですが、煮え切らず覇気がありませんでした。ジワーッとしたスタイルが定着したと思います。(その方が長丁場ではよかったかもしれませんが。) ただ、置かれた立場や状況のなかでは精一杯頑張りました。仕事もうまくいくことが増え、大きな仕事が成功すると少し将来に期待されたようでした。海外研修も増え、全社レベルのプロジェクトや新しい事業の立ち上げ等に抜擢されるようになり、ヘッドハントもされて、世界は広がっていったのです。小さな世界で気にしていたことが小さいことだと気づき始め、少しずつ、より高く・より広いことに慣れていきました。
それでも本質のスタイルは一匹オオカミ…というより相変わらず鞍馬天狗に憧れる変や奴だったかもしれません。可愛げもなく、人を心から信頼できず、『もっと信用しろ』と上から言われたこともありました。草食系ですし(?)、カモメのジョナサンという本がありましたが、どちらかというと、群れから離れたカモメだったのかもしれません。30年ぐらい前に幸い家族を持って一匹ではなくなり、いろいろ変わったのですが、多くの友達や人々と一緒にいられる幸せを噛みしめられるようになったのは、そんなに前のことではないと思います。